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ライオンズOB通信 東尾修編 とにかく投げ続ける 必死に模索した自分の生きる道 レジェンドが今こそ伝えたいメッセージ

ライオンズの「レジェンド中のレジェンド」って誰?と聞かれたら、皆さんは誰を思い浮かべますか?

読者の皆さんそれぞれに思い出のシーンやエピソードもあるかと思いますので、いろんな選手の名前が出てくることと思います。

筆者にとって、幼い頃のライオンズのエースと言えば・・・、東尾修さん

相手打者の内角をズバズバ突いていく強気のピッチングが印象に残っています。それと、ライオンズの監督として、ドラフト会議で横浜高校・松坂大輔投手をクジで引き当てたのも東尾さんでしたね。

今回の「ライオンズOB通信」では、そんな東尾さんの、とにかく投げ続けることで自分の生きる道を必死で模索した入団当初、そして初優勝、黄金時代を迎えた話から、今のライオンズに対する思いや、東尾さんだからこそ伝えることができるライオンズへのメッセージまで、たっぷりご紹介させていただきます。


■なかなか勝てなかった入団当初、そして黄金時代へ。波乱万丈の現役時代

東尾さんは和歌山県の名門・箕島高校から1969年にドラフト1位で当時福岡を拠点にしていた西鉄ライオンズに入団。

1年目から一軍で8試合に登板。2年目の1970年5月16日には、西鉄ライオンズの本拠地・平和台球場での東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)戦でプロ初勝利。この日がプロ入り後14試合目の登板で、高卒2年目19歳での初勝利でした。

ただ、当時は球界に衝撃が走った「黒い霧事件」の影響もあり、チームは厳しい状況の最中でした。

黒い霧事件とは、西鉄ライオンズの選手に八百長の疑惑がかかり、1969年10月7日の試合で敗退行為をしたとされる投手が解雇されたことに端を発した事件で、同年11月28日に同投手は永久追放処分を受けました。翌1970年の4月には、この黒い霧事件に関与した可能性があるとして、6選手がコミッショナー委員会の事情聴取を受け、その結果、当時のエースだった投手を含む3選手が永久追放処分、ほか2選手が期限付きの野球活動禁止処分で、5選手が抜けるという事態となりました。残る1選手も厳重注意処分が下されました。主力選手を含む5人が抜けた1970年の西鉄ライオンズは、なす術もないまま、初の最下位に沈みました。

そんな苦しいチーム状況の中でも、東尾さんはマウンドに立ち続けました。入団から4年間で、154試合に登板し、37勝61敗。4年目の完投数15、勝利数18はいずれもチーム最多でした。のちにライオンズの大エースとなるべく、経験を積んでいったのです。

入団4年目の1972シーズンオフには、西鉄が球団経営から撤退。翌1973年からは太平洋クラブライオンズ、1977年からはクラウンライターライオンズ、1979年からは福岡から所沢に移転してきた西武ライオンズのエースとして投げ続けます。太平洋時代の1975年、クラウンライター時代の1978年には、ともに年間23勝を挙げるなど、まさに獅子奮迅の活躍でした。しかしながら優勝には縁がなく、東尾さん自身も毎年悔しい思いをしていたそうです。

そしてようやく、西武ライオンズとして4年目のシーズンとなった1982年に、念願の初優勝を果たします。翌1983年も優勝し、連覇を達成。以降、西武ライオンズは黄金時代を築き上げます。

1988年に現役を引退するまで、通算251勝247敗という偉大な成績を残した東尾さん。ライオンズでの完投数247、投球回数4086、先発登板数537はいずれも球団記録として今もなお破られていません

そんな東尾さんの現役時代の一番の思い出は、
「やっぱり(1982年の)初優勝だよ!」
とのこと。

「4番打者で田淵(幸一)さんがいて、他にも大田(卓司)、立花(義家)、石毛(宏典)・・・、といいバッターが揃っていてね。西武ライオンズの初優勝だったし、自分にとっても初めての優勝。うれしかったなあ。」
と頬を緩めました。ちなみに、この年の中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、MVPも獲得した東尾さん。
そうそう、MVP、ね。気持ち良かったよ!
と振り返りました。

引退後は、1995年から7年間、西武ライオンズの監督を務めます。そして、今年3月に行われたライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」でも、チームLIONSの監督としてベルーナドームに戻ってきました。

まさに、「生涯ライオンズ」を貫いたレジェンド中のレジェンドですね。

■東尾さんの近況、当然気になるライオンズ

そんな東尾さんに近況を聞いてみました。

「今ハマっていることは小学6年生の孫の野球を観に行くことかな。来年から中学生だから、小学校の野球が観られるのは今年が最後。これが楽しみのひとつだね。」

「それからね、やっぱりライオンズのこと、気になるんだよな。正直に言うと毎試合観戦はできないんだけど、テレビが置いてあるお店に入ったりすると、ライオンズの試合やってないかな、って気になっちゃう(笑)。試合結果はちゃんと毎朝スポーツ新聞でチェックしているしね。」

そして、現役時代、監督時代もライオンズ一筋だった東尾さんに、苦しい状況が続くチームへの思いも聞きました。

「開幕から数週間はチーム成績も良かったけど、打線がなかなか点を取れない状況が続いて、そのうちに投手陣にもプレッシャーがかかってしまい、今に至ってしまっているかな。特に外国人野手がもっと打たないと、というところだよね。」

「稼頭央も大変だっただろうし、久信も今、本当に大変だろうと思うよ。今の久信のユニフォーム姿を見ていると、責任を背負い込んでいるように見えるよね。二人とも、自分とは関わりの深い二人だから、余計に気の毒というか、残念というか、やっぱり複雑な思いがあるよ。」

と、休養中の松井稼頭央監督、現在指揮を執っている渡辺久信GM兼監督代行を慮ります。

■東尾さんだからこそ、今のライオンズに伝えたいメッセージ

今のライオンズの選手たちにも、自身の経験と照らし合わせ、かつ、このようなチーム状況だからこそ伝えたいメッセージがあります。

「特に若い選手たちにとっては、今が本当にチャンスだと思って、何とかがんばってもらいたいよね。自分の若い時もそうだった。チームが下位に沈んでいる状況で、その中で巡ってきた出番だったわけで、ピンチはチャンスとプラスと捉えていたよ。」

「試合での登板を重ねながら、自分に合ったスタイルというのかな、とにかく自分の生きる道を探すのに必死でね。自分の成長のために、球を受けてくれたキャッチャーともたくさん会話もしたし、そんな経験が、良い結果に繋がったんだと思うよ。」

「今のライオンズの選手たちにも、ぜひこのチャンスを掴みとってほしいね。実戦でしか経験できないこと、試合に出ることで成長できること、結構あるもんだよ。」

と、東尾さんだからこその熱いエールを送ります。

最後に、ライオンズファンの皆さまへ、東尾さんからのメッセージを。

「本当に我慢強く応援してくれていると思います。試合に出ている若い選手たちは、もしかしたら技術的にはまだまだ、というようにファンの皆さまの目にも映っているかもしれません。それでも、彼らの成長のためにも厳しい目を持ちながら、これからも応援し続けてほしいと思っています。選手たちにとっては、応援は本当に大きな力になりますから。」

ここまでお読みいただきありがとうございました。今後もライオンズOBの近況をお届けしたいと思っています。

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