ライオンズOB通信 熊代聖人編 長男誕生の日の感動秘話 引退を決意した親友への思い コーチ2年目の今、ライオンズファンに伝えたい「訓示」とは
「高校時代はエースで4番、甲子園のヒーロー」
「ライオンズではキャッチャー以外はすべて守ったユーティリティプレーヤー」
「試合前の円陣・声出しでの“訓示”もおなじみ、チームを盛り上げたムードメーカー」
といえば、ライオンズファンの方であればわかりますよね?
今回の「ライオンズOB通信」に登場するのは、現役引退後すぐにコーチに就任して今年で2年目、熊代聖人二軍外野守備・走塁コーチです!
■スーパースターだった高校時代
熊代コーチは愛媛県の名門・今治西高校から日産自動車、王子製紙を経て2011年に右投げ右打ちの外野手としてライオンズに入団しました。
高校時代はエースで4番。2年夏、3年春、3年夏と甲子園には3度出場。甲子園では、投手として完封勝利、4番打者としてホームランも放つなど、大車輪の活躍。高校日本代表にも選出されるなど、まさにスーパースターとして高校野球ファンの記憶にも残る選手でした。
「3年夏の甲子園ではベスト8まで進むことができました。そのベスト8を決めた3回戦の文星芸大付高校(栃木)との試合は特に印象に残っています。同点で迎えた9回表に決勝ホームランを打って、そのまま投げ切って勝つことができました。いや~、本当に気持ちよかったですよ!」
と振り返ります。
■直面したプロの壁、生きる道を模索
しかし、社会人野球を経てライオンズに入団してまもなく、プロのレベルに驚愕。
「度肝を抜かれましたよ!中村(剛也)さんのフリーバッティングを見て、次元が違う、と。社会人野球時代から、プロで生き抜くために内野も外野も守ったり、バットをぶんぶん振り回すのではなくコンパクトに振ることは意識していましたが、あらためて自分の生きる道は何か、を考えざるを得ませんでしたね。」
プロで生き残るためには、バットを短く持って、ホームランや長打よりも確実に打率を残す打者にならなきゃ、と誓います。
そんな1年目のオフには、練習中に遊び感覚で左打席でのトスバッティングをしていたところ、それを見ていた土井正博打撃コーチ(当時)から、
「左でいいスイングしとるな(笑)。足の速さも生かせるし挑戦してみようか!」
との言葉。
「(松井)稼頭央さんや赤田(将吾)さん(現・一軍外野守備・走塁コーチ)をスイッチヒッターに育て上げた土井さんが褒めてくれたんだからやってみよう!」
ということで、スイッチヒッターにも挑戦。入団2年目の2012年は一軍でも左打席で安打を記録しました。
しかし、翌2013年の開幕前には、
「やっぱり自分本来のバッティングは右打席だな、と思いまして。」
ということで、当時の渡辺久信監督に、「右打席1本で行きます」と直訴したそうです。
以降、2022年までの12年間、ピッチャーとキャッチャー以外のポジションはすべて経験し、ユーティリティプレーヤーとしての存在をアピールし続けました。その明るい性格でチームを盛り上げるなど、ライオンズの数多くの勝利に貢献しました。
■長男誕生の日に
現役生活で一番の思い出の試合は、2013年9月29日の千葉ロッテマリーンズ戦。
「妻が妊娠中で、今日にも産まれそうだ、という状態で球場に向かったんです。その日はスタメンではなかったのですが、試合中に、無事に産まれて母子ともに健康だよ、と報告がありました。その後、ライオンズがリードしている展開で、守備固めで試合に途中出場しました。このまま勝てると思っていたら、9回表に同点に追いつかれて延長戦になってしまいました。打順的にはちょうどチャンスの場面で自分にまわってくるような巡り合わせだなあ、と思っていたら、本当にチャンスの場面で自分の打席がまわってきました。今日だけは代打を出されたくない!絶対に自分がヒーローになるんだ!と思っていたら、渡辺監督から、クマ!!決めてこい!!と送り出されて・・・。もう、意気に感じましたね。」
そして見事にサヨナラヒットを放ち、ヒーローインタビューでは、試合中に長男が誕生してパパになったことをライオンズファンに報告することができました。
渡辺監督に当時のことを聞いてみたところ、
「試合中に無事に産まれたという事実は知らなかったんだよ。もし知ってたら、絶対に代打は出さなかっただろうな(笑)。でも、知らなかったけど代打を出さなかったわけだから、クマから出てたオーラというかね、何か感じるものがあったんだよ、きっと(笑)。」
と目を細めながら、懐かしそうに当時を振り返りました。
■コーチ2年目、若手選手の良き相談役
12年間の現役生活を終え、すぐに二軍外野守備・走塁コーチに就任した熊代コーチですが、まもなく2年目のシーズンが終わろうとしています。
「ようやく、コーチとしての自分の立ち位置やキャラが確立してきたかな、と思っているところです。選手たちの中でも、熊代コーチってこういう感じだよね、というイメージができてきているんじゃないかな。自分は若くして現役引退後すぐにコーチになることができましたので、本音で話してくれる選手が多いのもメリットだと思っています。」
若手選手の良き相談役として日々奮闘している様子がわかります。
コーチとして最も意識していることは何かを聞いてみると、
「いかに選手がモチベーションを高く保つことができるか、という点です。モチベーションが高くないと、必死で練習しても、試合で貴重な経験をしても、うまくなるものもならないですし、成長に繋がらないと思いますから。それでも、モチベーションを高めようとするあまり、褒めてばかりでもダメですよね。さっきのあのミスは今日の試合においてはものすごく重かったよね、この経験を忘れないで次に生かすにはどうしたらいいと思う?と問いかけたりすることもありますし、時にはもっと厳しく言うこともありますよ。」
このあたりの指導方針は、一般の企業においても当てはまるものかもしれませんね。
■引退を決意した親友への思い
今シーズン、現役時代ともに戦った仲間である増田達至投手や金子侑司選手が引退することとなりました。そしてもう一人、岡田雅利選手。熊代コーチと同い年で、現役時代はシーズンオフにトークショーで共演するなど、いつも一緒だった親友。明るい性格と軽妙なトークでファンを楽しませた2人でした。
「先に引退した立場で言うのも何ですが…、やっぱり寂しいです。ライオンズの同級生では、最後の現役選手だったんですよね。ひざのけがと戦っている姿をずっと近くで見ていましたし、過酷なリハビリだったり、痛み止めの注射を打ちながらがんばったり…、本当に辛かったと思います。最近ひざの状態はどうなの?と僕から声を掛けていましたし、オカちゃんから引退の相談も受けていました。常に葛藤していただろうし、気持ちも揺れていたと思います。でも、いつどんなタイミングで相談されても、僕からは、まだできるから!マジでがんばってくれ!と言い続けたんです。やっぱり、オカちゃんには辞めてほしくなかったんです、心の底から。でも最後は、気持ちよりももう体が無理や…、と打ち明けられました。簡単ではない決断だったと思います。現役時代、いい時も悪い時も、常に一緒だったオカちゃん。オカちゃんなりにライオンズの選手として走り抜いたと思います。まずはしっかり体を休めてほしいですね。」
■今、熊代コーチからライオンズファンへの訓示
最後に…、今、熊代コーチからライオンズファンに伝えたいことを尋ねたところ、
「なかなか勝てない状況であっても、たくさんのファンの方々が球場に足を運んでくださっています。そして、いつも以上に大きく、熱い声援を送ってくださっています。こんなに心震えることはありません。」
そして、
「現役引退した時のサンクスフェスタで、ファンの皆さまの前で“訓示”を披露させていただいたのですが、あの時の気持ちが今も変わっていません。ですので、あらためて、お伝えさせてください。」
とのこと。
「ええか、お前ら!(※読者の皆さま、こういう表現でスミマセン!決まり文句なのでお許しを!by熊代コーチ&筆者)ライオンは群れで狩りをする。この群れは、一頭たりとも欠けてはならない。獲物を狩るためには、全員が揃っていないとダメなんや。ライオンズも一緒や!ライオンズファンのみんなは群れの一員やで!選手、監督、コーチ、球団関係者、そしてファンのみんな。誰が欠けてもアカン!これからも熱い声援が必要なんや。頼むで!さあ行こう!Let’s Go!!!」
以上、こちらの訓示をもって、このnoteの記事を締めたいと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました。なお、私事で恐縮ですが、筆者自身は9月いっぱいで広報部を離れ、10月から別の部署で勤務いたします。このnoteではOB通信をはじめ、理学療法士補佐やバイオメカニクス担当など、ライオンズを支える仲間たちを中心にご紹介させていただきました。引き続き広報部の別の仲間たちが、選手たちやライオンズOB、チームスタッフの近況を、もっともっと密にお届けしてまいりますので、今後ともぜひご期待ください!