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21歳、背水の3年目。ケガやプレッシャーと戦い、一軍選手への切符を掴んだ21歳のこれまでとこれから

こんにちは。
西武ライオンズ広報部です。

先週は野球の聖地である神宮球場と甲子園球場でのビジター6連戦でした。
栗山選手が昇格後の初打席で通算400二塁打を達成しましたが、それよりもファンの皆さまが注目されたのは6月3日に支配下選手登録をされた菅井信也投手のプロ初登板ではないでしょうか。

あまり目立つタイプではない菅井投手ですが、彼の紹介とこれまでの軌跡について、広報部員が菅井投手本人にインタビューして記事にしてみました。

これまであまり取り上げてこなかったファームについても、定期的にnoteでご紹介していこうと思います。近くで見ている広報部員が、ファンの方々が気になる点などを想像しながら記事化していきます。ぜひこの選手を取り上げてほしいなど、お声をいただければ、今後の参考にさせていただきますので、お気軽にコメント欄へご記入くださいね。


■山形の高校生から夢のプロ野球選手へ

皆さまこんにちは。菅井信也です。
山形県南陽市出身で山本学園高校に在籍していた2021年のドラフトで育成3位指名を受け、ライオンズに入団しました。


2021年11月 指名あいさつでフォトセッションに応じる菅井投手

高校時代は1年生の夏からベンチ入りして、エースナンバーをつけていました。高校3年間では、フォームの改善と体作りを続けて、スピードや球のキレが増しました。
夏の甲子園出場をかけた東北大会では3回戦敗退でしたが、9月上旬にはプロ志望届を出しましたね。

ドラフトで育成3位指名を受けたときは、すごくうれしかったというのが最初で、入団会見はすごく緊張した記憶しかないです。


2021年10月 入団会見当日

プロ野球選手への入り口に立つことができましたが、とにかく支配下登録選手になることを目標に、ここから僕の第二の野球人生がスタートしました。

1年目はとにかくケガのシーズンで「何をやっているんだろう」という1年でした。
最初に肩を痛めて、まだ違和感があるうちに投げたら思ったより悪化してしまい、それが治るまで数か月かかってしまって、すごく反省しました。
夏には投げられるようになったのですが、今度は足を怪我してしまい、続けてコロナの感染もありましたね。

情けないし、悔しい気持ちで、チームメイトとの会話も楽しめず、うつむく日々を過ごしていたのですが、復帰に向けて毎日付き添ってくださったトレーナーさんが心の支えで、今振り返っても感謝しかありません。
そう思うと、その1年で自分の体について多く学ぶことができ、決して無駄な時間ではありませんでした。
入団当時は体の線も細く、筋肉もついていなくて全体的に弱々しい感じで、リハビリをしながら自分の体の扱い方やケガ予防の勉強をすることができましたし、今後に生きてくると思います。

2年目に入ると、登板回数も増えてやっと始まったと思えました。
1年目の反省を生かして、体のメンテナンスにも時間をかけましたし、いろいろ試して、リカバリーにも努めたからこそ、1年間投げ切れたと思います。
ただ、1年目の出遅れもあって、常に「二軍のローテに入って成績を残さないとすぐに三軍に落ちてしまう」と不安やプレッシャーを感じて目線が下に向いてしまうこともあって、本当に目の前の1試合に集中して、抑えてやろうという気持ちでいましたね。

■支えてくれる人たち

僕はもともと自らの感情を表に出すタイプではない性格のため、ケガで辛かった1年目のときも弱音を吐かないようにして黙々とトレーニングをしていましたが、先ほど伝えた通りしんどかったです。でも2年目に内海さん(現:読売ジャイアンツ投手コーチ)と過ごす時間が多くなり、ある日の試合中、ブルペンで待機中の僕に「イライラしたときは口に出した方が気持ちが落ち着くし、そのあともネガティブな感情になる回数が減るよ」と声をかけてくださいました。きっと僕が試合の度にマウンドでいつも以上に感情を抑え込んでいるのに気づいたんだと思います。

それって、プレッシャーだったんですよね。
学生の頃にはあまり感じなかった“プレッシャーと戦う”ってことも学びました。

内海さんのその言葉を聞いてから弱音を吐けるようになりましたね。溜め込むのは良くないんだと気持ちが楽になったのを覚えています。
それからは自分の思ったようなピッチングができることも多くなり、それが結果として現れたと思います。

そんな僕には頼もしい同期が8人います。みんな仲が良く一緒にいて楽しいです。
特に羽田と黒田は同じ投手ですし、一緒にいる時間は長いかもしれませんね。登板後に試合映像を見ながら話すこともあるし、かと思えば一方では、ゲームをしていたりと自由で気楽な関係です。


左から菅井信也、羽田慎之介、黒田将矢(2023年球団納会ゴルフ)

昨年3人揃ってファームの試合のローテーションに入っていた時期があったのですが、「このまま3人で投げ続けたいね」と、よく話していました。その時、ふたりは支配下、僕は育成だったので、そういう日々の会話からも支配下選手への思いは強くなっていました。

■運命の1日

そして僕にとっての運命の日となった6月1日の夕方、電話が鳴りました。

「明日10時30分に球団事務所に来るように」。

もうそこからは眠れません。この時期の呼び出しだったので、もしかしてと思いましたが誰にも打ち明けられないこの胸のザワつきをどうしようかと思いながら、気が付いたときには朝日が昇っていました。

球団本部長の飯田さんから「入団3年目、これまで一生懸命練習をしてきてくれて、しっかり成長してくれた。戦力として考えているので、今日支配下選手契約を結びます」。

一瞬、時が止まったような気分になりました。それからはあっという間で、一軍の皆さんにあいさつをして、会見を済ませてからは遠征の荷物整理に必死でした。

でもひとつだけ、鮮明に記憶に残っていることがあります。
通達された日は一軍が読売ジャイアンツとの交流戦で、内海さんに直接報告することができました。「現役時代は数々の成績を残し、コーチになってからも選手からの信頼が厚い内海さんのような投手になりたい」と練習を重ねてきた僕にとって、一番に報告をしたい人でした。
時間を作ってくれた内海さんに報告をすると抱きついて喜んでくれました。「よかったな~!」という握手した瞬間、内海さんの目に涙が見えて、それを見たときは、もらい泣きしそうでしたが、まだスタート地点に立ったばっかりだと思い直し、なんとか堪えましたが、とてもうれしかったです。

■プロ初登板を終えて

6月3日の月曜日には一軍の投手練習に初めて参加しました。これまでとは違い、一軍の先輩たちと一緒に練習をするのですごく緊張してグラウンドにおりたら「菅井!おはよう!」と今井さんや隅田さんたちが穏やかに迎えてくださって、安心しました。
そのおかげで、緊張がほぐれ、たくさん会話もできたので良かったです。

そして先日、6日6日に神宮でのプロ初登板を迎えました。正直、試合後は疲労感が半端なくて、本当にぐったりしていました。

ボール先行で始まった初登板でしたが、3回以降はストライクゾーンに集めることができたと思います。後半から自分の良さが出たかな。

登板前日まで、うどん半玉しか食べられないくらい緊張していたのに、試合直前は意外と落ち着くことができて、自分にとって、ほどよい緊張感でマウンドに上がることができたと思っていたのですが、試合途中の豊田コーチからの言葉は正直あまり覚えていなくて。励ましというよりは「頑張るぞ!」っていう喝を入れてくださった記憶です。今思うと、やっぱり緊張していたのかな(笑)

あと、サードを同期の夏央(滝澤)が守ってくれていたのが本当に安心しました。夏央には一軍合流のときから「今までのピッチングをすれば大丈夫だよ」って言ってもらっていました。
サードにいてくれるだけで安心できましたし、たくさん声かけをしてくれて、とても助けてもらいました。

今回の登板の自己採点は50点。前半の球数の部分で減点です。ここまでの大舞台は初めてで、三振を取るたびに歓声がすごかったので、また一軍で投げたいと思いました。
今月28日には地元山形での試合があります。もちろん目指したい試合のひとつですが、まずは目の前の試合をひとつずつ、しっかり抑えて、山形で登板したときには絶対勝ちたいと思います。

これからも緊張を味方にして、一軍ローテーションに割り込んでいきたいですし、何よりもこれまでお世話になった方々への恩返しをしていきたいので、結果を出していきます。
ファンの皆さまにも早く顔を覚えてもらえるよう、ホームゲームでヒーローインタビューを受けることが目標です!

===
いかがでしたでしょうか。ファンの皆さまやメディアの皆さまからは、たびたび期待の選手として名前が挙がっていた菅井投手。我々もこの日を心待ちにしていました。
入団時より少々あか抜けたものの、中身はそのまま。やさしいオーラを放ちつつ、マウンドで見せる鋭い目線をみたら、今後が楽しみで仕方ありません。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
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