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元ライオンズの選手が国家試験に合格して帰ってきた!藤田航生のセカンドキャリア

こんにちは。
株式会社西武ライオンズ広報部です。

前回はライオンズが取り組むホスピタリティについてお伝えしました。

「球場飯といえばベルドの獅子まんま」と言っていただけて本当にうれしいです。そのおいしさには、お客さまを想う気持ちがスパイスになっている。なんてお話をしました。そんなベルーナドームでのお仕事について興味を持たれた方や、春から大学生になってアルバイトを探している方は、ぜひチェックしてください!

さて、今回はライオンズで投手として5年間プレーし、引退後は理学療法士国家試験に合格して、再び「理学療法士補佐」というポストでライオンズに戻ってきた藤田航生さんを紹介します。


■苦しかった現役時代

藤田さんは青森県出身。弘前工業高校から2015年ドラフト9位でライオンズに入団しました。

入団会見の様子

鋭いカーブとチェンジアップが武器の左ピッチャーでしたが、一軍での登板を果たすことはありませんでした。
プロでの5年間は、思うようにボールを投げることができないイップスという症状に悩まされたのです。イップスとは、精神面の不安や葛藤などにより、筋肉や身体機能にまで影響を及ぼす心理的症状を一般的には指しています。藤田さんのケースでは、極度の緊張状態からか、ボールを持つと鉛のように重く感じたり、日によっては逆にふわふわのスポンジのように感じてしまったり、心臓がバクバクして投げることに対して恐怖感を抱いてしまうような状態だったそうです。

「入団早々にイップスになってしまい、ずっと苦しいプロ野球人生でした。でも良い思い出もあります。2019年5月26日、CAR3219フィールドでのファーム公式戦(対北海道日本ハムファイターズ)で、三者連続三振を奪うことができました!試合後には、活躍した若手選手が受ける“若獅子インタビュー”にも選ばれ、これがプロ野球人生で唯一のヒーローインタビューでした。」

そして、2020年のオフに現役引退。当時のコメントを引用します。

「イップスの影響で思うように投げられないことがありました。今後は自分のように、思うように身体を動かせなかったり、苦しんでいる人たちの手助けをできるようになりたいです。

ここから、藤田さんの第二の挑戦が始まるのです。

■夜中の3時まで勉強

「高校時代にけがをして地元の大きな病院に診察に行った時に、そこで初めて、スポーツのリハビリをする職業があるんだ!と知りました。その時の記憶が残っていたのと、ライオンズ入団後はヨネさん(米田進:現メディカルコーディネーター兼ヘッドPT)がいつもそばにいてくださって。自分もヨネさんみたいに選手をサポートできたら、と理学療法士を目指すことを決意しました。」

と話す藤田さん。

理学療法士とは、身体機能の回復や維持・向上を図り、運動の指導や物理療法を行う医療技術者で、PT(Physical Therapist)とも呼ばれます。
理学療法士になるためには、必要な知識と技能を養成学校で3年以上修得し、国家試験に合格して免許を取得することが必要です。
こう聞くだけでも、なかなか高いハードルだということがわかります。

藤田さんはライオンズ退団後の2021年1月、すぐに専門学校に入学。
その3か月後の4月には、ライオンズのオフィシャルスポンサーであり、CAR3219フィールドの命名権も取得している株式会社スマイルランドに入社。

「僕が理学療法士を目指していることを知ったうえで、合格するまでウチでがんばればいい、と常に言っていただいていました。」

と藤田さんが語れば、スマイルランドを担当している当社営業部員に聞くと、

「渡邉一矢社長(株式会社スマイルランド代表取締役)とお会いするたびに、藤田は本当にがんばっているよ、といつもうれしい報告を受けていました。」

とのこと。渡邉社長以下、スマイルランドの職場の皆さんも、藤田さんの夢をバックアップしてくれていたのが伝わってきます。

こうして、「専門学校生」と「会社員」、二足のわらじ生活が続きました。

この時の藤田さんは、8時30分から17時頃までは会社員として働き、17時40分からは専門学校へ。21時45分頃まで、運動学、生理学、解剖学など、多岐に渡る内容を受講していました。
定期試験が近くなるとなかなか勉強が追い付かない日もあり、時には夜中の3時まで勉強し、翌朝には普段どおり出社する、なんてこともしばしばあったとか。

「体を使うことが仕事だった現役時代と違って、頭を使わなければ、というところで苦労しました。そして何より、睡眠時間が充分に取れなかったことが何よりも辛かったですね!」

と今では笑顔で振り返ります。

「それまでの野球中心の生活から一変し、まず文房具を揃えなきゃ!というところからでした。授業を受けながら、どうやってノートをとろうか、と試行錯誤。そんな毎日でしたね(笑)」

そして、努力が報われ、見事に国家試験に一発合格!高いハードルを一気に飛びこえて見せました。

「試験が簡単ではないのはわかっていました。でも当時26歳で、もし試験に落ちて翌年再受験となると、その時は27歳。決して若くはないし、もうあとがない、くらいの強い気持ちは持っていました。それに、こんなにがんばったのだから、と落ちる気はしなかったんですよね。不思議とそう思えました。」

そんな藤田さんを支えていたのは、家族、元チームメート、そしてライオンズファンの皆さまでした。

■支えてくれた家族、元チームメート、そしてライオンズファン

「何といっても、家族です。妻と、4歳になった娘ですね。妻には本当に支えてもらいました。そして娘からは元気をもらいました。日々、目標を見失うことなくがんばることができたのは家族のおかげです。それと、スマイルランドの渡邉社長はじめ、職場の皆さまにも本当に良くしていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。渡邉社長は会うたびにいつも、最近どう?と気にかけて声を掛けてくださいました。試験に合格して新しい道に進むまではウチでがんばれ!と。」

「ライオンズで一緒にプレーした選手たちとの交流も大切な時間でした。挙げたらきりがないのですが、例えばドラフト同期で4歳年上の本田圭佑さん。引退後も定期的にお会いしていました。その年のドラフト指名選手10人のうち、今も現役選手としてライオンズに残っているのは本田さんだけ。心から応援しています。あとは、光成さん(髙橋光成投手)。光成さんとは、現役時代、ずっと一緒にいましたから!」

本田圭佑投手

「それから、ライオンズファンの皆さまにも感謝の気持ちでいっぱいです。一軍で投げることは叶わなかった僕ですが、今でも声を掛けてくれる温かいファンの皆さまに触れ、とても励みになっています。そして、いつかファンの皆さまに良い報告ができたらいいな、という気持ちは日に日に強くなりました。」

と胸中を明かします。

「勉強や仕事が忙しい中でも、ライオンズの試合速報や結果はチェックしていました。いつかまたライオンズに戻りたい、と強く願っていましたから。ここまでがんばることができたのも、一番の大きなモチベーションは、“いつかライオンズに戻ること“でした。大目標がライオンズへの復帰で、そのための中目標が、スポーツ整形外科の勉強だった、そんな未来予想図でした。青森から高卒でライオンズに入団して以来、チームスタッフやファンの方に支えていただいて今の自分があるんだ、という感謝の気持ちから、お世話になったライオンズのために力になりたい、と。」

いつかライオンズに戻りたい、と強い思いを胸に秘めていた藤田さん。
そして、ついにその日が訪れます。

■ライオンズファンのためにできることは何か

国家試験に合格した暁にはライオンズに戻りたい、という藤田さんの願いは叶い、今年4月から、理学療法士補佐として埼玉西武ライオンズへの復帰が決まりました!

「入団の面談は、広池浩司さん(球団副本部長)とヨネさんのお二方でした。選手の頃は気兼ねなく話していたのですが、3年間の社会人生活を経たのちの面談でしたので、しっかりしなきゃ!とすごく緊張しました。」

そして今は、研修を兼ねて、理学療法士としての経験を積むことを目的に、帝京大学スポーツ医科学センターなどと協力して今年の4月から開業した「ライオンズ整形外科クリニック」に派遣され、勤務しています。

「勉強中から、ライオンズがクリニックを開業することを知っていました。自分がその役に立てるということが、うれしいです。理学療法士として、元選手として、そしてひとりの人間として、患者さんや選手たちの信頼を得ていきたいですね。現役時代、思うようにプレーできなかった僕だからこそできること、それを探しながら、僕自身もライオンズの戦力になれたらいいな、って思っています!」

ライオンズの選手たちの活躍は、多種多様なスタッフの力があってこそ、です。
これからも藤田さんのようなスタッフのエピソードやセカンドキャリアを紹介していきますので、ぜひご注目いただければと思います。

・・・最後に、本田圭佑投手、髙橋光成投手のコメントを紹介しましょう!

「僕がドラフト6位指名で、藤田が9位。同期10人の中でも一番年下で、本当の弟のような存在でしたね(藤田さん自身も、本田さんは本当のお兄ちゃんみたい、と言っていました!)。同じ東北の出身ということもあり、とても仲が良かったです。プライベートで食事に出掛けたり、お互い寮にいるときはどちらかの部屋を訪ねて話をしたり・・・、懐かしいですね。それにしても国家試験に合格するなんて、本当にビックリです!すごいことをやってのけてくれましたので、僕も負けずにがんばります。」(本田投手)

髙橋光成投手

「フジ(藤田さんのことをこう呼んでいるそうです!)は僕の一つ年下で、大の仲良しでした。僕が寮にいる間は、ずっと一緒にいましたね。買い物や食事に出掛けたり、ドライブに行ったり、あとは温泉旅行とか。もう本当にフジがかわいくて仕方なかったです!そんなフジがライオンズに帰ってきてくれました。努力していたのを知っていましたから、本当にうれしいです!」(髙橋光成投手)

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