ライオンズ愛溢れる球団本部長 広池浩司の思い
先月、当社では来季の人事を発表しました。
今回の人事で成し遂げなければならないのは、「チーム再建」。
その中心となって再建を推し進める責任者でもある球団本部長の職に、これまで副本部長だった広池浩司が就くことになりました。
1999年に広島東洋カープに入団。12年間のプロ野球人生を過ごしました。
ライオンズでのキャリアは2011年の打撃投手から。選手としての在籍はありません。
それでも本人は、「ライオンズを本当に愛している」と話します。
今回は球団本部長の広池浩司についてお伝えします。
プロ野球への情熱 広池のキャリアとライオンズでのあゆみ
埼玉県越谷市出身の広池は、立教大学4年の秋、プロ入りを希望するも指名漏れ。
卒業後は野球から離れて、内定していた全日本空輸株式会社に入社し、ビジネスマンとして社会人生活をスタートしました。
入社後は、羽田空港でカウンター業務を担当。遠征で空港を訪れたかつてのライバルたちを見てプロ野球選手になるという夢が再熱した広池は、広島東洋カープの入団テストを受験し、選手契約の保証がないまま退社を決めました。
しかし、その年の指名は見送られ、自費でドミニカ共和国での9カ月の野球留学を経て、1998年のドラフト会議で8位指名を受けました。
「広島に8位でとってもらって、そこから12年在籍したチームには、第二の故郷といえるくらい本当に大事にしてもらいました。引退するときもスタッフのオファーをしてもらいましたが、自分の都合で断りました。第二の人生を歩むことになり、一旦リセットしたかったんですよね。そこでしっかり考えたときに、やっぱりプロ野球に関わりたいという自分の気持ちに気が付きました」。
そこから最終的にライオンズともう1球団で悩むことになりますが、ちょうど広島のオーナーにあいさつに行ったときにそのことを話すと、その場でオーナー自らライオンズに連絡を入れ、話をつけてくれました。
人の縁とタイミングによりライオンズで働くことになりますが、うれしいの一言だったといいます。
2011年に打撃投手としてチームスタッフに加わった後、育成担当兼副寮長、チーム戦略ディレクター、球団本部本部長補佐兼チーム戦略ディレクター兼メディカル・コンディショニングディレクター、球団本部副本部長と経て、現在に至ります。
多くのポジションで経験を積んだ広池ですが、どのポジションでも学ぶことに時間をかけたといいます。
現代の野球を知り、もっと野球に詳しくなろうとアップデートを重ねました。
コーチや選手と会話をする際、首を傾げているようではいけない、対等に会話ができるようにと学びを重ね、その土台が今の自分の強みであると言います。
少年の夢を追い続けて 広池のライオンズへの愛と挑戦
選手としてはライオンズに在籍していなかった広池ですが、ライオンズに来て14年が経ちます。
すでに現役時代よりも長い年月を過ごし、ライオンズを愛している自信があると言い切ります。
「小さいころ実家から1時間以上かけて西武球場(現ベルーナドーム)に通っていましたし、少年時代の多くの時間を費やしましたね。いろいろなご縁があってライオンズで働くことになりましたが、だからこそ弱いチームにできないという気持ちは、特に強いです」。
父はジャイアンツファンだったと言いますが、なぜ自身はライオンズファンになったのか。
それは“強かったから”。
「こどもって単純なんです。学校が終わって電車で球場まで来て、当時は年会費が2,000円でしたが、グッズがたくさんもらえて、内外野の自由席に行き放題でした。年に何回通ったかわかりません(笑)」と少年の顔を見せた広池。
そして、試合開始の2時間前に流れる、オーケストラ編曲された「若き獅子たち」が使用された楽曲について教えてくれました。
「心が躍る音楽というか、わくわくしてきて、これから始まるぞっていう感じですね。少年時代からよく聞いていたあの音楽が今職場でかかっているのはすごく不思議な気持ちですが、身が引き締まる思いで聞いています。球場にご来場されるお客さまを見ていると、強いライオンズを取り戻すために、是が非でも何とかしなければいけないという気持ちになります。だからあの時間はとても好きで、そこが根底にあるから少々大変なことでもがんばれるのかなと思います」
渡辺久信GMと共に歩んだ最後の6年間
10月上旬、渡辺久信ゼネラルマネジャー兼監督代行の退任が発表されました。
広池がライオンズに加わった2011年に監督として指揮をとっていた渡辺GMですが、それから14年、最後の6年間はGMと二人三脚で歩んできました。
GMについて広池は「圧倒的な存在感は自分には真似できない」と言います。
「GMってああ見えて、びっくりするくらい優しい人で、それに加えてカリスマ性もある。だからあれだけの人を惹きつけるんだと思います。」と話す広池。
副本部長時代は、とにかくGMとたくさん会話を重ねたと言います。
事前に共通認識を持っておくためのもので、選手から相談を受けたときにすぐ回答できるようにしておきたかったからです。
「現場から質問を受けて、ちょっと聞いてみるねと答えるより、即答できた方がまた聞こうと思ってもらえるはずです。GMだったらこういう回答をするだろうなと想像して、自分が即答できればそれは頼もしさにも変わると思い、できるだけGMの考えを理解するために会話を重ねました」。
時には自身が思っていたものとは違う反応をGMがすることや、GMから指摘されることもありましたが、GMは理解を示してくれ、お前に任せたと言ってもらえる関係にまでなれたのは、ここ3年ほどです。
「ここまで腹を割って仕事の話をしたのは、自分だけじゃないかな。ときどきGMは顔に出ますからね。そこで怯んでしまう人もいましたけど、自分は性格的にも飛び込んでいけるタイプなので、GMからしたら面倒くさいやつと思っていたかもしれません」と振り返ります。
「勝利への誓い」広池が語るチーム再建のビジョン
来シーズンに向けてすでにチームは始動しています。
最初にコーチ人事に着手して、そこからスコアラーやバイメカなどのスタッフ、最後に選手編成という順で整えました。来季は、歴史的な低迷を記録した今季のチーム成績を向上させることからすべてが始まります。
そのためには「当たり前を当たり前にできるように」なることが大事だと考える広池。
「プロ野球チームってなんのためにあるの?というところから考えていて、ファンであれば、夢と希望と言われる、まさに自分が小学生時代にもらったもので、生きる糧になるものですよね。投資してくれるスポンサー企業さまであれば、出資する価値を見出してもらうことだと思います」。
「そのための手段として、最も大事なものは“勝利”になります。勝負ごとは勝って学ぶことの方が多いと思いますし、実際に勝ったチームがどんどん強くなるのはそういう心理だと思っています。勝つために当たり前のことを当たり前にする、ひとつひとつ地に足をつけて、ここ数年で失ったものを取り戻していく、そんな1年になるのかなと思います」。
来年にはライオンズ誕生から75周年を迎えます。
節目の年にチーム再建を果たすべく、取り組んでまいります。